第10回カイエ・デュ・シネマ週間 ジャン=ミシェル・フロドン、蓮實重彦の対談

ゴダールの『Notre Musique』の上映後、すぐに始まる。
まず、蓮實重彦は、3つの喜びを表明する。
ゴダールの新作を見れたこと。
カイエの編集長であるフロドン氏に呼んでいただいたこと。
そして、芥川賞作家(阿部和重)、三島賞作家(中原昌也)、優れたフランス人の女性監督(クレール・ドゥニ)、優れた日本人の監督(黒沢清青山真治)をはじめとした多くの才能と多くの熱気に包まれていること。
ちなみに、本日は、菊地成孔、【略】、浅田彰も来場。物凄いメンバーが集結していました。
それから、すでに見ていた本映画の、予め用意してきた文章が読み上げられる。
本映画『我らの音楽』の副題を「赤いバックの乙女」としようという提案から述べられる。
その副題は、本映画の核をつく。10分少々で、20世紀の歴史を映像で振り返った(地獄)後、赤いバックを持った少女がサラエボを訪れ、銃弾に倒れ(煉獄)、平和な海岸に行く(天国)。という簡潔で明瞭なあらすじが見事に立ち現れる。
タイトルにある「音楽」は、サラエボで始まりサラエボで終わる20世紀のエレジー=哀歌であるが、ソクーロフのように死者に向けられたものではない。
サラエボの通りを駆け抜ける赤いバックの少女は、まるでロメールの教訓シリーズに出てくる少女のようであり、ゴダールの講演で、生徒の一人である彼女は、無口で、その彼女のアップは、『裁かるるジャンヌ』のファルコネッティを見つめるアンナ・アリーナの、切り返しの意味に還元されない、純粋なクローズアップのようでもある。
監督であるゴダールはオルガにだけ、唯一興味を見出す。彼女に対するカメラの向け方を見れば、明白である。
例えば、「煉獄」のオープニングの、路面電車上からのパンニングで捉えた彼女など。
一方、作中人物のゴダールは、オルガに全く興味がない。彼女の死を聞いても、あっさり受け流すだけである。
本映画の魅力は、この二人のゴダールの、オルガに対する思いの偏差にあるという。
以上のような基調演説があった後、フロドン氏にバトンが渡される。
フロドン氏は、90年代以降の、特に『映画史』のゴダールが、メランコリックであったのに対して、本映画は全く、メランコリックではなく、再び、物語に回帰したような映画であると指摘し、蓮實重彦も同調する。
さらに蓮實重彦は、初期から本映画までの、ゴダールが、一貫して正確な時間を取り逃がすことを指摘する。
アルジェリア戦争にも、68年の五月革命にもカメラを回さず、『ベトナムから遠く離れて』でもベトナムに赴かない。そして、本作のサラエボにも、誰よりも遅れて訪れる。
このゴダールの世界の事象に対する遅延性こそ、常に抱える後ろめたさと共に、創造性の源になっていると指摘する。
そこで話は、方向転換し、今度は、シネフィル、そして「カイエ・デ・シネマ」という雑誌の存在について蓮實は、語り始める。
まず、世界にのさばりすぎたシネフィルに対する、ある意味当然な圧力に対して、あるいは、映画だけが好きだということに批判な立場に対して、映画批評はどう対応すれば良いのかと問いかける。
フロドン氏の、この春に行われる予定のポンピドゥセンターにおける「コラージュ・ド・フランス」というゴダールの思想についてのプロジェクトの企画についての話を挟み、蓮實は続ける。
ヌーヴェル・ヴァーグとは、映画が軽んじられていた時代の映画原理主義によるテロリズムであり、シネフィルは今でもそのテロリズムが可能であると勘違いしている。
カイエの初期は、各々が自分自身であろうとし、いろいろな考えが存在した。
ヌーヴェル・ヴァーグとは、一つのセクトではなく、日常生活でも、映画の趣味でも、決してグループを作れない者たちが、グループを作れた奇跡的な運動だったのである。
そして、カイエは、月刊誌という特性を活かし、今上映されつつある新作を常にフォローしながら、古典作品まで、抑えている唯一の批評雑誌であるという。
近年でも、マイケル・マンの『コラテラル』とヴィンセント・ミネリが同時に掲載されていることに感心したと言う。
と、だいたいこんなことが話される。
その後、蓮實先生指名による、『我らの音楽』の感想発表会が始まる。
まずは、ドゥニが先陣をきって、蓮實先生のゴダールの遅延性に賛同を示す。

ドゥニに続いて、蓮實先生の指名は、青山真治黒沢清中原昌也阿部和重と続く。
ちなみに、青山真治がタイトルを伏せた(シネフィル的嫌らしさ100%)映画が何か分かりませんでした。
黒沢清は、天国を撮ったということで、「ゴダールは死んでからも映画を撮るのではないか」という相変わらずの煙に巻く黒沢節が炸裂。
そのチョー分の悪い後を引継いだ、中原昌也のグダグダなリアクションもまた、ほほ笑ましかった。
阿部和重には、「これからもゴダールをよろしくお願いします」と述べ、何度も何度も、芥川賞受賞に賛辞を送る先生が印象的でした。
最後に、浅田彰に振ろうとするが、浅田彰が渋ると、「下々には話したくないということですね、はい」という抜群の瞬発力あるアドリブで指名は終わる。
本日は、フロドン氏との対談という形式でしたが、ほとんど蓮實先生の独り舞台でして、そのあまりにも自己言及ぶりは、爽快でした。
なにせ『我らの音楽』を映画史的な記号と相変わらずの蓮實節で語る前半が、シネフィル全開の身振りであったのに、後半、ともすれば自身を否定するようなシネフィル批判、そして、映画批評はどうあればよいかという問いかけなど、自己言及なものになっていくのだ。
シネフィルや、批評の問題ではなく、実はひたすら、蓮實先生自体の問題が展開されているのだ。
でもそれは、一種の芸術の域に達した身振りでして、ゴダールのそれと、だぶって見えてくる。『我らの音楽』の感動と同様に、蓮實先生の存在に感動したのです。
対談後、シネフィル=観客の誰もが妙な笑顔だったのが、印象的でした。シネフィル生涯の中でも1位2位を争う最高の日でありました。

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