吉田喜重 変貌の倫理 トーク

9月11日、吉田喜重監督『ろくでなし』上映後の蓮實重彦氏の話のまとめ。自分の言葉でまとめます。間違いもあると思われますので注意。

映画とは20世紀のものであり、すべて同時代的に見なければならないものである
小津に代表される1930年代の映画監督と吉田喜重を含む1960年代の映画監督を見出したのは同じプロデューサーたちだった
『ろくでなし』を撮ったとき、吉田喜重は身分的にはまだ助監督だった(年齢27歳)
吉田喜重の作品は同時代の太陽族とはまったく異なる(反抗の映画ではない)
太陽の季節』という小説はたいしたことはないが、映画は良いので見るべき
『ろくでなし』の若者は自ら「ろくでなし」であると言うのでなく、他者からそう呼ばれる
「ろくでなし」と呼ばれることで、それを自己規定にしてしまい、「ろくでなし」として死んでしまう若者
戯れでしかなかった行動が、他者の言葉によって深刻な現実味を帯びていく同じ構図は次作「血は渇いている」にも引き継がれる
男は他者の言葉を演じてしまうが、女はそれを拒む(秋津温泉の岡田茉莉子)
松竹時代の吉田喜重の卓抜している3点
ロング、ミドル、クローズアップの使い分け(意味のないクローズアップがない)
ロケと室内の切り替わりのフェードアウト
映画を決定づける忘れられない場所が登場する(使われなくなった競輪場)
ふつう「吉田喜重的」と言われるとき、それはATG時代の吉田喜重を指す
吉田喜重は『エロス+虐殺』のATG時代の前に、それとは異なるディスクールを確立していた

青山真治
(上記、他者の言葉による自己規定というテーマが処女作『ろくでなし』から最新作『鏡の女たち』まで貫かれていることについて)映画監督はこんな同じことを撮り続けていいんだ、と思った。
蓮實重彦
映画作家は同じことを撮り続けていいのです。


岡田まり子氏と吉田喜重監督と一緒に(漏れのすぐ右隣)「ろくでなし」を観てますた。
蓮見氏のありがたいお話も拝聴できたし、何と青山真治監督もその場にいますた。
(「ろくでなし」上映後の蓮見氏メインのトークショーでこの4人がそれぞれコメントした)