2012-01-01から1年間の記事一覧

文学部文学科フランス文学専修主催 公開講演会「小説、散文、フィクション ― フローベールをめぐって Roman, prose, fiction ― autour de Flaubert」 『かのように』のフィクション概念に関する批判的な考察 ― 『ボヴァリー夫人』を例として Réflexion critique sur la notion fictionnelle du “Comme si” ― l’exemple de Madame Bovary

立教大学池袋キャンパス マキムホール(15号館)3階 M301教室

『秋のソナタ』

ユーロスペース 『秋のソナタ』は、その作品をめぐってつぶやかれるだろうありとあらゆる言葉を超えて、それが映画として存在しているというただその一点において、祝福されねばならぬ作品である。

『阿賀に生きる』

ユーロスペース 未来に向けて投影する映画 佐藤真監督の『阿賀に生きる』は、人類のかけがいのない「現在」を未来に向けて投影する。それは、被写体となった方々の忘れがたい表情やその背後に拡がる風景の「現在」のみならず、それにキャメラを向けたスタッ…

映画表現論―演技と演出 「映画における演技」というこの複雑怪奇な現象について 第2回 講師:塩田明彦

アテネ・フランセ文化センター 人間は、映画にとってもっとも自然な被写体でありながら、俳優がそうでないのは何故か。いま、映画作家の塩田明彦が、その不可解さの理由を、世界で初めて明らかにしてみせる。

ホセ・ルイス・ゲリン映画祭

渋谷 シアター・イメージフォーラム フィクションをドキュメンタリーのように、 ドキュメンタリーをフィクションのように撮るホセ・ルイス・ゲリンは、どんな題材と向かいあおうと、 映画のあるかないかの核心へと見るものを誘いこむ。 そこでふと目覚めることの、…

第27回Bibliothèque文明講座 『映画時評2009―2011』(講談社)刊行記念 蓮實重彦トークショー 「あれは果たして映画時評だったか?」

Bibliothèque(ビブリオテック)

日本フランス語フランス文学会2012年度春季大会 特別講演会II:フローベールの『ボヴァリー夫人』 ─フィクションのテクスト的現実について « Madame Bovary de Flaubert : réalité textuelle de la fiction »

東大安田講堂

映画時評 2009-2011

講談社 http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/2009-2011-a568.html

御園生涼子著『映画と国民国家――1930年代松竹メロドラマ映画』

東京大学出版会 30年代の松竹メロドラマは怖ろしい。異種混淆性のはらむホラーを超えたその怖ろしさを、御園生涼子はごく冷静に指摘してみせる。

桃まつり presents すき 壱のすき 『the place named』

ユーロスペース もちろん、完璧な出来ではありません。しかし、随所に「映画」が生々しく息づいており、夜のトンネルから電車が出てくショットにはすっかり魅せられてしまいました。――また、蒲団に寝るショットの苦しさにくらべて、鴨居に吊したシャツを見せ…

『果てなき路』

渋谷 シアター・イメージフォーラム これこそ映画だという確信が、これは映画なのかという疑念を、なだらかに凌駕してゆく快感の121分!

《MINERVA 19》

CIRCULO DE BELLAS ARTES DE MADRID “John Ford o la elocuencia del gesto”を収録。